平安時代の初め平城天皇の大同元年(八〇六)創建と云はれてゐる。古老の伝承に日本武尊が御東征の御帰還、百蔵山に登り下山されたところ厳しい風雨にて、しばらく滞られた地が現在地で、そこは一面の葛の原であつた。里人は尊の御跡を慕ひ社を建立して崇敬の誠を捧げたと云ふ。葛野の地名もこれより起るとの伝もある。甲斐国志には「木村産神なり神鏡壱面経壱尺壱寸唐物なり、神剣壱振銘曰甲斐国都留郡葛野郷御岳大明神為剣於駒橋元近打之天文十七年八月吉日神領九畝拾七歩」とあり、この剣は現在山梨県有形文化財の指定を受け社宝となつてゐる。明治二十五年火災に罹り、棟札文書等を消失。詳細でないが、鬱蒼とした杉の大木の林立するを見れば、地方の古社であることがしのばれる。