人皇十代崇神天皇の御代七年(一〇四)国中疫病蔓延し勅命を以って土人創祀する。六十二代 村上天皇御代康和三年(九六六)村人が開墾の守護神として諏訪大明神を奉る。天文二十一年(一五五二)甲斐国守護武田晴信公相模国北条氏との合戦に際し当神社に御加護を請ひ奉らんと本殿を造営寄進する。貞享元年本殿修築、安産子授けの守護神として古くよく崇敬されてきた。明治五年村社に列せらる。祭典の両日御神渡と称して湖上を明神様が渡る。宵宮に御神幸せられ、明くる夜、御還幸せらる。此の時、緑の藻が水面に浮き、魚類も明神様を送迎すると伝へられ、両日は今も漁師は湖に網を張る事、舟を乗り入れる事を禁じてゐる。又凡そ七~八年に一度巡り来る御輿奉舁当番者五十名は三キロ程離れた御旅所に山中明神太鼓が打鳴らされる中ゆっくりと御神幸、御還幸なされる。山中のハラボテ祭と云はれ県内は固より、東京、静岡等の遠方からの参拝者も多い。翌日は境内での奉納相撲が行はれる。