本殿の南即ち富士山寄りに当社起源の地「大塚丘」と呼ぶ小高い丘がある。人皇十二代景行天皇四十年(西暦一一〇)日本武尊、東征の砌、この丘に立ち富士の神山を御遥拝遊ばされ「富士は北の方より拝せよ」との詔を発せられた。里人はこれを拝受しその跡に鳥居を建て後に同天皇五十年庚申歳四月、里人小祠を設け浅間明神を勧請し日本武尊を合祀した。
当社は富士山登山道の「吉田口」の起点に位置し、古今通して富士信仰の中核を為してゐる。嘗て富士は遥拝する霊山であった。現在第一神木とする大杉、第二神木の杉、第三神木の檜(現存せず)第四神木の檜は四囲をなしてをり、現存の三本は何れも樹齢千年以上であることから、この地にひれ伏して富士を遥拝したのが、原初の拝礼の形であることが察せられる。中世以降、日本各地の山岳信仰は修験道と混交し、富士も登山する霊験所たる山となった。
延暦七年(七八八)甲斐守紀豊庭朝臣、卜占により現在の位置に社殿を建て浅間明神を大塚丘より遷座し、大塚丘には日本武尊を祀った。後、仁和三年(八七七)に甲斐守藤原當興朝臣、貞応二年に(一二二三)北条義時朝臣が社殿造営。永禄四年(一五六一)に武田信玄公が川中島合戦の戦勝を祈願して社殿を造営。これが当社最古の社殿である現在の摂社「東宮本殿」で、明治四十年に国宝(現在は重要文化財)に指定された。文禄三年(一五九四)谷村城主浅野左右衛門佐が社殿造営。現在の摂社「西宮本殿」である。(昭和二十八年重要文化財指定)現在の本殿は、元和元年(一六一五)に谷村城主鳥居土佐守成次が建立。一間社入母屋向拝唐破風造、桃山様式の代表的な建築とされ、昭和二十八年重要文化財に指定された。東宮本殿、西宮本殿は文字通り本殿の東西(左右)に配してゐる。規模は東宮の梁間を基準にすると西宮は一、五六倍、本殿は一、七七倍となる。信玄公造営以降、旧本殿を横手にして新しい本殿を正面に建立していったのである。
戦国末期に現れた富士行者の長谷川角行は、富士を万物の産みの親とする独自の教理を確立し、江戸とその周辺の庶民が構成する近世富士講の基礎をつくった。角行の系統を江戸中期に受け継いだ村上光清は、享保十九年(一七三四)から寛延四年(一七五一年)の十七年間に亘り、現在の拝殿及び幣殿、手水舎、隨神門、神楽殿、社務所を建設、荒廃著しかった本殿、東宮、西宮、摂社福地八幡社、摂社諏訪神社を修理等の大事業を成し遂げ、今に至る境内主要施設の殆どがこのときに整備された。村上光清と同時期に同じく角行の系を継承した行者である食行身禄は、開祖角行の教理を庶民的な実践道徳を説いたものへと展開させ、没後の文化文政以降に最盛期を迎へる富士講の原動力となった。
神仏分離によりそれまで当社に在った仁王門、三重塔、護摩堂、鐘楼は排され、今は仁王門の礎石(市指定文化財)のみ神仏混交の名残を留めてゐる。
八月二十六日、二十七日の二日間に亘り斎行する鎮火祭(特殊祭儀)は、「日本三奇祭」に数へられ、平成二十四年三月、「吉田の火祭り」の名で重要無形民俗文化財に国指定された。この祭りは、地主神である諏訪神社の例祭でもあり、二十六日暮方、浅間と諏訪が同座した神輿と通称「おやま」と呼ばれる赤冨士姿の神輿が氏子中に担ぎ出され、御旅所に着輿。直後に国道一三八号線南北二キロメートルの道路の真中に、高さ八尺に結ひ上げた松明約八〇本が立並べられ、また氏子各戸では松薪を井桁に積み上げて、次々に点火され、氏子中はさながら火の海となる。明けて二十七日は、一晩御旅所に留まった二基の神輿が発輿、氏子中を勇ましく渡御し、暮夜に還幸される。起源は詳らかではないこの祭りは、火山鎮静を祈り中世以前に起こったことが推測されてゐる。時代降り、浅間と諏訪の祭神の故事により意義付けが深められ現今の形になっていったのである。
約三百メートル直に伸びる参道奥の「冨士山大鳥居」は、前述した当社起源の折の鳥居が、代々に建替へられ今に至ってゐる。殊に江戸時代後期以降は六十年の式年を以って建替へ又は解体修理が施され、昭和二十七年に建替へられた大鳥居の高さ五八尺五寸開け三五尺は木造では日本第一とされてゐる。平成二十四年より「冨士山大鳥居式年大修理事業」が進められ、同二十六年に完遂の予定となってゐる。
平成十一年天皇皇后両陛下行幸啓の際、天覧の栄に浴した当社の神楽講が奏でる太々神楽は、江戸前期より伝承され、平成四年に県無形民俗文化財となった。
飛地を含む境内全域は平成二十三年に国の史跡に指定された。
社宝として、太刀(銘表 備州長船経家、重要文化財)、絵馬五面(市指定文化財)、冨士之日記(市指定文化財)、信玄公祈願状二通等を有してゐる。
境内社は前出の他、神武天皇社、恵毘寿社(県指定文化財)、祖霊社、日御子社、池鯉鮒社、倭四柱社、日枝社、日隆社、愛宕社、天津神社、国津神社、天満社、三殿社(秋葉社、厳島社、疱瘡社の共殿)三神社(春日社、東照宮、八坂社の共殿)風神社、下諏訪社、子安社、冨士守稲荷社、青麻社、小御嶽遥拝所を配してゐる。