約八百年前に京都石清水八幡宮は現在の裏山大段山頂で、社殿は石清水八幡宮と同じ様式であった。慶長八年に火災をうけ、神社古文書、宝物を焼失。文政六年、本殿は工匠石川重甫(下山宿大工)により再建され、町文化財に指定されてゐる。昭和六十年十月には拝殿、幣殿、社務所などを新築してゐる。御神木「イチョウ」(樹高三五㍍幹囲七㍍)「クスノキ」(樹高三六㍍幹囲五・五㍍)町文化財天然記念物に指定されてゐる。境内地には八幡神社と並び南部町護国神社がある。大正十三年、旧栄村が祖国の礎となられた英霊を御祭神として奉斎し、招魂社を創建した。以来、栄村主催の慰霊祭が行はれてきたが、昭和四十年睦合地区の英霊の合祀祭を行ひ、社名を「南部町護国神社」として合祀英霊三百三柱となった。平成十六年には富沢地区六十四柱の英霊の合祀祭を行ひ、合祀英霊三百六十七柱となった。資料室には、個人写真や数々の遺品、新聞雑誌の記事などを展示してゐる。平成三年九月、全町民を会員として「南部町護国神社奉賛会」を組織し、御霊祭(八月十五日)、例大祭(九月二十三日)を斎行してゐる。