創祀の年代は不詳である。一八一四年(文化一一年)甲斐国志編纂に記述されてゐるのをみると、それ以前の創建といへる。当初は中芦川字牧寄りに鎮座、次いで字向川に遷座した。しかし古老の口碑によれば川越へ等通行に不便の為現在地に遷座したと云ふ事である。本殿の構造は九尺二間、桧皮葺、欅造りで周囲は雲龍等数多くの彫刻が施されてをり荘厳なものであった。明治十年(一八七七年)九月六日の台風で倒壊してしまったが大正十一年(一九二二年)氏子の御浄財により再建された。また本境内には住古より稲荷神社が有ったが明治五年、小祠無各格社等合祀の布令に基づき摂社として大神宮・金刀比羅宮、天神宮、山神宮、津島神社、愛宕神社、荒神社、風神社の摂社八社を祀った。末社として疱瘡神社も祀られてゐる。