創立年月日は不詳であるが、甲斐国志に「万力村鎮座大宮権現は成務天皇の御宇鎮座の神社是なり其の後落合の白山・熊野堂の熊野・岩下の走湯・別田の箱根を配祀して五所権現と称す」とある。依って走湯神社は此の頃の創建と思はれる。また、古老の言ひ伝へによると、現在の上下岩下はその昔は一か村であったが上下に分かれたために氏神である走湯神社の奪ひ合ひを数度行ひ、古くは下岩下村に鎮座祀られてゐたが、江戸前期に上岩下村(現在の山梨市上岩下地区)に遷座され、また江戸の後期明和三年三月四日に現在地に社を造営して移され現在に至る。なほ上岩下村の走湯神社のあったといはれる跡地は不明である。また、ご祭神は湯の神であり山梨市上岩下の岩下温泉は古来より効用のある鉱泉として有名である。