当社は貞観元年(八五九)清和天皇勅願により豊前の国宇佐八幡三神を東国鎮護の神として音取川(笛吹川)の中島大井俣の地に勧請し、大井俣神社と称し、延喜式所載の古社なり。その後水害に依り現在の窪の地に遷座し、窪八幡神社と称されるやうになった。中世以降甲斐源氏一門特に国主武田氏の崇敬篤く社参、或は参籠しての戦捷祈願、報賽のため、代々社壇造営修復等が行はれ、その遺構は尊い室町文化の様を今に伝へてゐる。当社には重要文化財が多数在り、其の宝庫でもある。一、本殿 明治四十年国宝指定、昭和二十五年五月重要文化財と改称。二、拝殿附鰐口。三、若宮八幡本殿。四、同上拝殿。五、武内社本殿。六、高良神社本殿。七、比咩三神。八、神門附石反橋。九、大鳥居。以上二~九棟共昭和二十五年五月重要文化財指定、昭和二十五年~二十八年の間第一、二期解体復元工事竣工。鐘楼一宇、狛犬三対六躯、境内古絵図、如法経塔県有形文化財指定。平成二十三年~二十五年の間、本殿・拝殿・若宮拝殿修復工事竣工。