甲斐源氏の始祖新羅三郎義光より四代石和五郎武田信光、承久年中鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を石和の館に勧請し、武田家の氏神として国衙八幡宮(今、石和若宮八幡)と称へ尊崇し奉った。永正十六年武田信虎躑躅ヶ崎へ築城するに及び今の甲府市峯本の地に遷座(今、古八幡)され、さらに武田氏との深い関はりにより武田信玄の時国内の惣社、府中八幡として永禄三年神家五ヶ条の条目を賜はり、甲斐国九筋百六十四社の神主をして二日二夜ずつ二人交替に社詰参籠して国家安泰を祈願する番帳を賜る。武田家滅亡の後徳川家康入国して社参し、社殿の造営を仰せつけられ旧規の如き条目及番帳を賜はる。(甲斐国志所載)浅野長政甲府城を築城するに文禄四年現在の宮前町(旧古府中町)へ奉遷し奉り府城の鎮守祈願所とし甲斐国総社と称し奉り崇敬された神社である。明治以降は県社(第一号)に列せられる。