初め甲斐源氏武田氏が石和へ居を構へた時に、その守護神として居館内に祀られ、次いで永正十六年六月武田信虎公石和からつつじが崎に居を移し築城するに及んで三の郭内に神殿を建立されて御遷座、武田家代々の尊崇する神社となった。天正三年四月城外の西南、塔岩地内に再建された社殿も整ひしも天正十年三月牛生の乱にて社殿は大破、其の後徳川氏の代になり家康公国内巡視の際当社に参拝の折、御崎大相撲を上覧、それより御崎大相撲は甲斐国三相撲の一つとして有名になり今日に及んでゐる。降って文禄三年(一五九四)甲府城築城の際現在地に神領を賜り御遷座、甲府城の守りと甲府北部一帯の氏神と定められた。当社は甲府における大社の一つで、氏子並に崇敬者の厚い信仰のもと今日に至ってゐる。
幸ひ、社殿、随神門等も戦火をのがれ、現在の拝殿は昭和五年の改築である。