人皇第二代綏靖天皇の御代、皇子土本毘古王、甲斐国疏水工事を行ひ、開拓の御業なせし時、中央の山上甲斐奈山に、白山大神を祀る事に始まり、以来延喜式神名帳に載る如く甲斐国鎮守の神として尊崇された。永正年間、武田信虎の築城に際し、現地に遷座され、文禄年間、甲府城起工に際し東部守護神として、浅間大神が併祀され、社運愈々隆盛となった。享保十二年十二月、火災により焼失したが、直ちに復興。
明治九年、郷社に列せられ、昭和二年、境内拡張事業に依り現在の規模に至る。皇室との縁深く、皇族ご懐妊の折には、安産祈願のご神札を献上せしと伝へられる。大正年間、時の宮司神前結婚式を一般諸人に広め、現今の風の嚆矢となる。昭和二十年戦災に依り社殿悉く焼失するも復興事業めざましく、戦後十数年にして旧に倍する復興を見る。更に昭和六十三年石垣大改修、平成十八年本殿拝殿改築、同二十三年社務所改築にて現在に到る。白山大神の「理」浅間大神の「和」のご神徳は人生諸般に亘り、広く崇敬を受けてゐる。