【氏神様と氏子】 |
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氏神様は、皆さんが住んでいる地域を守る神さま=神社です。
古くは同じ一族=氏族がおまつりしていた神さまを氏神と申し上げましたが、後に主として地域の守り神=鎮守さまを意味するようになりました。氏神さまに守られている地域の人々すべてを氏子といい、住所によって氏神・氏子の関係が定まっています。
神社では例祭を始め、年間執行される恒例のお祭りには申し出の有無に拘わらず氏子の皆様方の安泰を大神様にご祈念申し上げております。これらは神社の本来の祭祀の基本であり、またその神社を支えるのが氏子の皆様という訳です。
近年では信仰の自由ということで、氏神意識が薄れ一宗教として神社を捉えがちですが、神社の創始は宗教という言葉すらなかった時代、その地域の村落の形成期に遡り、共同体としての文化を継承しているものであり、個人救済の宗教とは教義が異なっております。
私たち日本人の祖先は、氏神さまへの感謝と祈りを生活の中心に据え、いろいろな役目を分担しながら毎年のお祭りを行うことで村=地域共同体の和を保ち、村づくり=地域の発展のために努力してきたのです。
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【産土神(うぶすながみ)】 |
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自分の生まれた土地を守護する神のことで、その地に生まれた人を産子(ウブコ)といいます。産土とは、生まれた土地・本拠の意味です。民族を通じて結びつく神社と人との関係が氏神と氏子であり、土地を媒介として結ぴつくのが産土神です。しかし、今日では氏神も産土神も鎮守神も同じような意味で扱われています。
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【神宮大麻(じんぐうたいま)とは】 |
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神宮大麻の「大麻」とは、もともと「おおぬさ」と読み、神々への捧げ物、あるいはお祓いの際にもちいられる木綿(ゆう)、麻などを意味しました。今日でも神社で使われるお祓いの用具をこのようにいいます。これにちなんで、厳重なお祓いを行って授けられるお神札を「大麻」(たいま)と呼ぶようになりました。
神宮大麻の起源は、御師(おんし)・大夫(たゆう)といわれる人々により「御祓大麻」(おはらいたいま)「御祓さん」の名称で頒布されていたお神札に求めることができます。
御師は、御祈祷師(ごきとうし)・御詔刀師(おんのりとし)がつまった呼称で、今から約800年前、平安時代末期に登場したといわれています。彼等は、伊勢の神宮に奉仕する神職であると同時に、全国から多くの崇敬者の真心を受け入れ、お伊勢参りの案内をしたり、自邸に神楽殿を設けて、参拝者の神楽や祈祷を行ったのでした。
一方では、全国津々浦々に赴いて祈祷を行い、またお伊勢参りの導きをしながら、神宮の御神徳を各地に広めてゆきました。このとき、崇敬者(檀家・だんか)のためにお祓いし、祈祷をこめて頒布した御璽(みしるし)「御祓大麻」が現在の神宮大麻の起源といわれます。
御師の活躍の結果、江戸時代後期の安永年間には、全国世帯の約9割が大麻を受けていたとの記録もあります。
明治維新の制度改革に伴って、明治5年、明治天皇の、「朝夕に皇大御神の大前を慎み敬い拝むための大御璽として神宮大麻を国民全戸に漏れおつることなく奉斎せしめよ」との大御心(おおみこころ)のもと、神宮司庁(じんぐうしちょう)から直接頒布されることになりました。このことは天照皇大御神を尊び、皇室を中心として、国民一体となって歩むわが国柄を、明治天皇御自ら諭されたのです。また同時に、国民があまねく天照皇大御神の広大無辺な大御光を奉戴し得るという、神宮大麻奉斎の意義を広く国民にお示しになられたのです。
ここに現代の大麻頒布制度の原型があるのです。
現在、神宮大麻・暦は、神社本庁が神宮司庁からその頒布を委託され、全国約8万の神社の神職・総代等によって、各家庭や職場に届けられています。 |
【神棚のまつり方】 |
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神棚は、目の高さより少し上におまつりし、御神札(おふだ)が南か東を向くのが一般的ですが、間取りによってはおまつりにふさわしい明るく清らかな場所であれぱ良いでしょう。また、神棚のない家庭では、タンスや書棚の上に白い紙を敷き神棚が整うまでおまつりするのも良いでしょう。
重ねてまつる場合 横に並べてまつる場合
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