彦火火出見尊の後裔向山土本毘古王は媛靖天皇の勅命により国造として甲斐に入国一面の湖水を切り開き平土を得、住民安住の地を確保した功績は偉大なるものであり、甲斐の大開祖として崇められた。崇神天皇八年向山郷大宮山に國祭を以て宮殿を造営され、佐久大明神として祀らる。社殿は其後山上御殿に遷され大宮大明神と改称された(年代不詳)。天文十三年に至り領主向山出雲守今の地に社殿を造営され遷座す。本殿は嘉永六年の造営(市指定の文化財)明治初年郷社に列す。延喜式神名帳所載については、大日本史神祇誌に曰く「佐久神社八代郡今在上向山村佐久之地曰大宮明神。太古海水氾濫国中佐久神乃蹴裂山巌以疏導之始得平土故祀之日靂霹神云」と。其の他保存物、旧神領大宮大明神の五字は世尊寺三位の書。
朱塗りの木箱
蓋表書 甲州八代郡中郡筋向山村 正一位大宮大明神幣帛
裏書 享保三年四月二十六日 神祇管領吉田兼敬