人皇十代崇神天皇の御代、国内に疫病の流行や災害が多発し、これを憂ひた天皇の勅命により背後の御室山中腹に創祀される。後十三代成務天皇の御代に麓の山梨の群生林を切り開いて現在地に遷座され山梨岡神社と号す。この故事により「山梨」の地名発祥の地と伝へられる。延喜式内社甲斐国二十社の一つに数へられ、古くは山梨明神・山梨権現・日光権現とも称せられ武田家累代の祈願所として篤く崇敬された。江戸時代には雷除け魔除けの夔神信仰が流行し、当社より御三家・大奥を始め大名家から旗本衆に至るまで広く神影版画神札が献上された。現本殿は室町末期飛騨の匠の技と伝へられ、国の重要文化財に指定されてゐる。また、古来より伝はる太々神楽は、武田信玄公出陣の際戦勝を祈願して奉納された神楽として伝へられてゐる。摂社に日本武尊・弟橘姫命を祀る吾妻屋宮があり、毎年四月に昼夜三日間に渡り執行される例大祭は、両社御祭神を奉祀する合同例祭で通称「あづまやさん」として古くから親しまれ、太々神楽の奉納を始め虫加持祈祷や神輿の盛大な渡御もあり、この地域一帯の有数な祭典として神楽見物や参拝者等で大変な賑はひを見せてゐる。明治五年郷社に列せられた。
宝物・武田信玄公社参状、同奉納食器一式、夔神木像、同神影版木原版他
特殊神事・虫加持祈祷、太々神楽(県無形民俗文化財)